寝れん

酒飲んでテンション上がって従兄弟と通話してる間に恋愛トークが出てやっぱりお、おうとなる。

暇だし出合い系で知らん人と会話してみようかなと思うも、途中から何故か自分のセクシャリティだとか色な事について考え出してしまう。

恋愛至上主義の人間と話が合わないのは勿論知っていた。

そして最近恋愛トークを聞く度に思うのが漠然とした状態で恋がしたい恋人が欲しいとは思った事がないなって事。

憧れが無いというかカップルの模範がわからない。

否、わからなくも無いがそういうのを自分がしたいのかと言われるとしたくない。

私が求めていたのは最初からパートナーだったのかもしれない。

そしてそれを探す事において恋愛を経由する手段を選び失敗している。

向こうが恋愛に切り替わった瞬間に冷めるのはそういう事なのかもしれない。

付かず離れず、友人のような。

だって恋愛は冷めるものだ。

恋愛結婚をした人間だって容易に冷めて騙されてたとか平気で言う。

両親がそうだし、世間一般にも冷めない恋愛なんてない。国民性なのか日本においてはとても少ない。

恋愛の愛じゃなくていい、家族愛でも友愛でもいい。

そういうパートナーが居ればと思う。

そして入れた出合い系アプリを削除。

男女問わず、気がある素振りが駄目な理由は何だろう。

自分がどう認識されているのかが明確になるからか。

甘えられるのか、甘やかそうとされるのか。

頼ろうとされるのか、頼られようとされるのか。

男に言い寄られれば女として認識されている事を意識する。

女性に言い寄られると男らしさを意識せざるをえない。

一般的な感覚の人は男女二元論があって、男は女を女は男を好きになる物と認識しているだろうと、こちらが勝手に思っているだけなんだろうけど。

自分らしくあれる恋愛とやらが想像付かない。

壊れたんじゃないかと思うくらい、病的に強迫観念めいて誰かの幸せを願ったし、ヤキモチも焼く。

でもそれは友愛なのか、恋愛感情なのか。

友愛の上に恋愛感情がある。

地続きになっている。

触れたいと思うのは、自分が理解し自分を理解してくれている相手だけだ。

それ以上となると???

生身の人間相手に自分が、という状態でそれ以上を考えると自分が酷く穢い気がするから、触れる事すら躊躇うようになる。

性に罪悪感がある。

他人のそれには感じないけれど、自分の事となると駄目だ。

母親の性嫌悪が原因だろうと思う。

恋愛に対しても罪悪感がある。

本当の俺を知らない癖に俺の何処が好きなんだよ、と猛烈に怒った10代の記憶が鮮烈に蘇る。

誰かを好きになるその権利も自分は持っていないと認識している。

自分が一番理解し難い。

ジェンダーノンセクシャル

そうやって区分した所で実生活には何の意味もなさない。

書類は全部女になっているし名前も女で改名してもまたその名前が他人のものに感じられるようになるのは目に見えている。

胸を取って、それから。

時折偽名を使って。

障がい者用トイレに入るのも罪悪感が出てきて。

女子トイレは呼び止められないかドキドキして保険証があるかを思い出して入るけれど周りに女子トイレに間違って入った男あぁこの人どっちか良く分からないけど多分女なんだなどちらと認識されても苦痛だ。

男子トイレはパス出来ないから普通に無理。

女子トイレでも視線が痛くて咳払いして声女ですよ!間違った訳じゃないんですよ!アピール。

正直疲れた。

LGBT関係で就職支援なんてモノがあるのを初めて知った。

精神的な病気がなければ是非利用してみたかったなぁ。

価値観が違う人達に囲まれて常に異物であるのは疲れる。

きっと適応障害は一人暮らしをしても続くだろう。

現代社会に適応できないから。

働いて食べていく為には無遠慮に人のプライベートを詮索し踏み荒らし押し付けてくる輩ともやっていく為の揺るがない土台が必要だ。

プライベートでは自分で居られるのなら、それなら職場で何を言われてもその場ではスルーできる。

社会を変えるなんて出来ないし、政治家にも期待してないし、自分を変えるなんてもっと出来ない。

カブトムシにクワガタになれと言うようなもので、努力ではどうにもならない程無理だ。

性自認も性指向も努力なんかでは変えられない。

カムアウトすら価値観の押し付けにならないかと考えてしまう。

そしてカムしなければ価値観は押し付けられる一方。

家を出た所でこんなにめんどくさい自分と死ぬ迄付き合わなきゃいけないと思うと、何かもうやる前から疲れちゃうね。

元気になってきたのはいいけど悩む事が出来るようになってしまったとも言える。